第31回企画展 『暮らしとみち』 展示解説の資料1

阿波の伝馬(てんま)てんま(てんま)関係史料 〜美馬郡東端山の武田家文書より〜

・阿波の伝馬について 
江戸時代、阿波では藩の公的な手紙や荷物は「伝馬」制度を利用して運ばれていた。街道筋に「伝馬所」が設けられ、伝馬所ごとに荷物等を継ぎ送りしていた。その際、実際に荷物等を運んでいたのは、伝馬所周辺の村の百姓たちである。彼らには伝馬役が課せられ、百姓の夫役(労役奉仕の義務)として伝馬所の勤めを果たしていたのである。
○美馬郡貞光村(現つるぎ町)周辺の伝馬について
「申上ル覚」(タケタ00292)

作成年代:享保年間(1716〜1735)
発給:成左衛門・善左衛門(肩書不明)→祖上幾右衛門(美馬郡を管轄していた大北郡
    奉行の手代)

内容:当時、伊予街道沿いの貞光村に伝馬所が設置されており、貞光村一村で伝馬役を
    勤めていた。ところが次第に伝馬所の仕事が忙しくなってきたため、近隣の他の
    村に対して伝馬に加勢して欲しいとの要請が出された。他の村は難色を示したが、
    結局は加勢をすることになったようである。
伝馬役を勤めることになった村
 半田村、半田口山、半田奥山、西端山、東端山、一宇山と貞光村。
  村は1ヶ月に加勢に出る日数がそれぞれ決められたが、その日数は村の夫役数(※)
  と伝馬所までの遠さを考え合わせて、村同士平等になるように決められた。
  (例)一宇山の場合・・・貞光村へ加勢
     伝馬所のある貞光村と比べると夫役数は約4倍。しかし伝馬所へは遠い地域なの
     で、日数は貞光村と同じ5日。

※夫役数とは・・・夫役の賦課の対象となる村人の数。15歳〜60歳の成年男子で、
          女性や子供、お年寄りは含まれない。庄屋などの村役人には夫役免除の
          待遇があった。
※夫役数の表記について・・・阿波では百姓1人を「二歩」と表し、百姓5人で「一人役」と
                  換算されていた。


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(写真一部)

    申上ル覚
一 貞光村より□組村々へ伝馬加勢ノ御訴
  訟申上候ニ付、右出入私共鍛相済可申候、尤
  相済不申候ハヽ存寄可申上旨被為仰付
  奉畏候、右村々庄屋五人与とも立合上下
  諸々伝馬所勤方之ひきへつ并組村中
  夫役頭三千七拾人有之内貞光村ニ纔(わずかに)ニ
  弐百六拾人人数迄ニ而伝馬所引請相勤
  居申所、次第に御用繁百姓とも近年者
  事之外及困窮迷惑仕趣ニ候、古来と
  打更御用繁候ヘハ、貞光村壱ケ村ニ而相勤可申
  様無之候、兎角平等ニ相勤可申義と彼是
  存寄申聞段々相鍛申所、貞光村より御訴
  訟申上義、村々庄屋五人与共義も不筋とハ
  不存体ニ相見へ候へ共、何分往古より勤来不申
  ニ付、今更加勢仕義百姓共彼是申由ニ而
  手引不仕相済不申候、尤古来より勤来
  候へハ貞光より御訴訟可申上様無御座義と
  奉存候、依之乍恐私共存寄左ニ申上候


・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・


一 夫役弐百八人弐歩   一宇山
  但、遠山より罷出相勤申候ヘハ、外村々
  とハ格別之義ニ御座候、依之毎月
  上十日之内五日宛貞光村へ加勢仕
  相勤候様ニ奉存候、以上

一 夫役五拾弐人六歩   貞光村
  但、組頭付一所之義ニ御座候得者、外村とハ
  違不時御用繁御座候ニ付、村々より伝馬
  所計量も御座候様ニ奉承知候、其上場所
  宜御座候ヘハ、諸御奉行様方往来御
  上下とも右様ハ右村ニ御一宿被遊候ヘハ
  御宿拵人夫又ハ詰夫方ハ外村より御
  用繁御座候、尤夫高少御座候ヘハ往古
  より勤懸リ之義故毎月三十日之内五日宛
  貞光村ニ相勤候様ニ奉存候


(以下略)


---------------------------------------------------------------------------------------©2006.10 森 千枝