徳島藩における石門心学の普及シリーズ【第1回】

当館所蔵の史料を中心に、近世中期から幕末にいたる石門心学普及の実態を紹介します。

  石田梅岩が心学を説きはじめる
     『都鄙問答』(元文四年刊)と『倹約 斉家論』(延享元年刊)より
                   {美馬郡半田村、現同郡つるぎ町 酒井家文書}
 
 心学の開祖・石田梅岩(通称勘平、一六八五〜一七四四)は貞享二年、丹波桑田郡東懸村(京都府亀岡市東別院町)の百姓権右衛門の二男として生まれた。十一歳から京都の商家(呉服商)に奉公に出されたが、生来の向学心から読書に励み、講釈を聴聞するなど修学に努めた。隠士・小栗了雲によって開悟したあと、享保十四年(一七二九)四十五歳のとき、はじめて京都車屋町御池上ルに講席を開き、謝礼をとらず、紹介をも要しない、自由な講義を始めた。やがて門弟達と毎月塾会(月次会=つきなみかい)を開き、師弟相互に討論を重ねながら切磋琢磨し、静座・工夫を重ねて所謂石門心学を練り上げていった。元文四年(一七三九)には、書き綴った問答の草稿を加筆・修正して『都鄙問答』四巻・二冊(門弟蔵版)が刊行された。

  元文四年(1739)孟春開板、天明八年(1788)戊申十二月再刻 サカイ00882・00883

 この中で梅岩は、「あるがまゝの心を知ること、この心を尽くして性即ち天の道理を知ることこそが学問の窮極の目的である」と説いている。江戸時代は朱子学が正学とされたので、四書・小学・近思録などが多く引用されているが、神道・仏教も心を磨く磨(と)ぎ草として援用し、一般成人にも分かりやすく心学を説いている。
 また、江戸時代中期は貨幣経済が社会全体に浸透していくが、未だ貴穀賤金の気風が強かったこの期に、商人の売利を得るのは商人の道であり、商人の道と士農工の道と相違するものではない、と主張している点は注目に値する。しかしながら、むやみに利を貪ることを誡め、正直と倹約を守ることが肝要であると誡めてもいる。
 梅岩は、開講以来十五年間、簡素な独身生活を送りながら、真摯(しんし)に心学を説き続け、延享(えんきょう)元年九月二十四日、六十歳で病没した。同年五月上旬自序の『倹約 斉家論』が、門弟達によって刊行され、生前に刊行された上記二著は、門弟・社中の必読書とされている。 
梅岩の説いた心学は、直弟・手島堵庵を中心に厳格に継承され、教導の対象も子供や女子をはじめ各種の階層に拡大して、やがて全国に教線を拡大してゆくのである。


生前に刊行された上記二著は、門弟・社中の必読書とされている。
 

『都鄙問答』所収、「都鄙問答ノ段」より抽出

枠内の文章は下記に抜粋

都鄙問答    都鄙問答2


左『都鄙問答(人倫ノ・・・)』 右『都鄙問答(性ヲ知・・・)』


人倫ノ大原ハ天ニ出テ仁義礼智ノ良心ヨリナス。孟子又曰学問之道他無シ、其ノ放心ヲ求ムルノミ。此心ヲ知テ後ニ聖人ノ行ヲ見テ法ヲ取ベシ。君ノ道ヲ尽クシ玉フハ堯ニアリ。孝ノ道ヲ尽クシ玉フハ舜ニアリ。臣ノ道ヲ尽クシ玉フハ周公ニアリ。学問ノ道ヲ尽クシ玉フハ大聖孔子ナリ。此皆孟子ノ所謂性ノマヽニシテ。上下天子ト流ヲ同ジクス。聖人ハ人倫ノ至ナリ。如是君子大徳ノ行跡ヲ見。此ヲ法トシテ。五倫ノ道ヲ教エ。天ノ命ゼル職分ヲ知ラセ。力(ツトメ)行(オコナウ)トキハ。身修マリテ家齋(トトノイ)。国治マリテ天下平ナリ。
(中略)
性ヲ知ル時ハ。五常五倫ノ道ハ其中ニ備ハレリ。中庸ニ所謂、天ノ命之ヲ性ト謂フ性ニ率(したが)フ之ヲ道ト謂フ性ヲ知ラズシテ。性ニ率フコトハ得ラルベキニアラズ。性ヲ知ルハ学問ノ綱領ナリ。我怪シキコトヲ語ルニアラズ。堯舜万世ノ法トナリ玉フモ。是性ニ率フ而巳。故ニ心ヲ知ルヲ学問ノ初メト云。然ルヲ心性ノ沙汰ヲ除キ。外ニ至極ノ学問有コトヲ知ラズ。万事ハ皆心ヨリナス。心ハ身ノ主ナリ。主ナキ身トナラバ。山野ニ捨ツル死人ニ同ジ。

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『倹約 斉家論』より抽出
枠内の文章は下記に抜粋





或人曰。門人方倹約の序文をみれば、町家相応にては面白し。しかれども、町家ばかりの倹約にて、大道の用にたらず。同じくは世間一同に用るやうに教へらるゝがよかるべしと思へり。汝の門人には武士方もありと聞り。此等の教はいかん。
答。汝は町家のことは瑣細にて、大道に用られずと云。某(それがし)思ふは左にあらず。上より下に至り、職分は異なれども理は一なり。倹約の事を得心し行ふときは、家とゝのひ国治り天下平なり。これ大道にあらずや。倹約をいふは畢竟身を修め家をとゝのへん為也。大学に所謂、天子より以て庶人に至るまで、壹(ひとつ)に是皆身を修るを以て本とすと、身を修るに何んぞ士農工商のかはりあらん。(後略)。


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