特集「村の公文書」展 (神山町郷土資料館所蔵資料より) 3

book成人式が生まれたころ

 昨今“荒れる”成人式が問題となっています。現在のような成人式のルーツは昭和21(1946)年に埼玉県蕨町(現蕨市)で、地元の青年団長などが中心となった「青年祭」だといわれています。このイベントはまたたくまに広がり、昭和23(1948)年7月に公布・施行された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では1月15日が成人の日となります。
 「昭和二十二年十月起 成年式ニ関スル書類 鬼籠野村役場」という簿冊には、徳島県における成人式の導入を示す興味深いいくつかの公文書が綴じ込まれています。


その中から、昭和22年8月に徳島県から出された通知を紹介してみましょう。

社第二八二号  昭和二十二年八月二十三日
                徳島県教育民生部長
各市町村長
  成年式(成年祭)(成人祭)と成人講座開催について
古来少年期から成年期への転換をはっきりさせていたのに、古くは「元服」其の後は壮丁検査があった。之等の行事によって初めて少年が成人への責任と歓喜を覚え、又社会的にも成人として認められ、家族は勿論村邑こぞって祝福していたのである。がしかし、敗戦後の道義の退廃と戦争放棄による壮丁検査の自然解消は何時しか少年と成人との境を不明にした。
それが為か、少年は自然喫煙、飲酒、風紀などの上に放縦な生活振りを発揮するに至った。故にこうした道義心の乱を出来るだけ社会一般も又本人自身も一刻も早く払拭して、法的にも社会的にも成人として其の地位を認められ、新しき権利と義務を生ずる満二十才の男女を対象に、厳粛にして而も盛大に成年式(成人祭)を催し、成人としての自覚と公民としての重責を痛感せしめたいものである。そうして青年の熱意、努力、研究によって、自奮自制、自己の完成を計ると共に、社会や国家に貢献するの決意を促さしめたい。
かかる意味で此処に青年成年式(成人祭)開催を企図し、本行事を自主的に夫々工夫して開催されたいのである。
なお、本行事を行うに当っては各地域、職域による青年団、婦人団体、医師等と十分に連絡をとられたいのである。
尚、本行事は楽しい同窓生の集いともなるであろう。   ー以上ー
 
                           (一部常用漢字に直し句読点を補充)




 江戸時代までの「元服」の役割を壮丁検査が担っていたが、敗戦によりそれが無くなったために、若者は大人になったという自覚が持てず、放縦な生活を送ってしまいます。そこで
これにかわるものとして「成年式」を挙行して若者に自覚を待たせよう、というところでしょうか。
 これに付された参考資料や後日追加で出された通知によると、実施日は日本国憲法公布一周年にあたる11月3日が望ましいが、各市町村の実情を最優先させること。成年式にあわせて、県知事による優良青年の表彰や講演会、さらに身体検査(医師等との連絡を求めているのはこのためでしょうか)を行うことが求められています。
成人式電報
「鬼籠野村の成年式に寄せられた
県知事 阿部邦一の祝電」
(昭和30年1月15日)

 鬼籠野村の公文書によると、同村の第一回目の成年式は同年12月22日の午前9時から村役場において挙行されています。新成人は男性37名、女性27名の合計64名で、その内49名が参列しています。行事は身体検査、座談会、徳島県軍政部厚生課ミューラ課長の記念講演。参加者は弁当持参となっています。現在の成人式と比べると隔世の感を否めません。
---------------------------------------------------------------------------------------©2007.07 徳野 隆