開館10周年記念 特別展
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 明治34年以降徳鳥県は、全国の府県の中で常に10位前後を占めるような主要な北海道移住県となっていった。その要因には経済的な面もあるであろうが、県内の有力者による積極的な移住組織の創設や農場設置を挙げることができるだろう。
 明治24年(1891)春、那賀郡の北海道開拓に関心を持つ有志が集まり「那賀郡北海道殖民同盟会」が組織された。殖民同盟会の目的について「近年徳鳥県人の北海道移住者は増加しているが、開拓の目的を達成している者は数少ない、これは状況を調査せず軽挙に移住をするからである。有志の人これを嘆き移住民の不幸を救済するために殖民同盟会を組織する。」(「徳島日々新聞」、明治24年10月13日、筆者意訳)とあり当時の無秩序な移住の状況を嘆き、組織として移住を奨励していくために会を組織したことを述べている。この会には、当峙衆議院議員であった守野為五郎(現那賀川町)や県会議員でのちに守野に代わって衆議院議員になる板東勘五郎(現羽ノ浦町)、県会議員でのちに県会議長も務める小笠原鶴太郎(現羽ノ浦町)など那賀郡内の実力者11人が名を連ねていた。

 

友成 士寿太郎(1885〜1918)

友成 士寿太郎
(1885〜1918)


 殖民同盟会で委員をしていた友成士寿太郎は、一念発起して羽ノ浦町役場助役の職を辞し3月に北海道開拓の状況調査に出発した。道内を広く踏査した上で、7月19日札幌から上川街道を北東へ12里(約48キロ)石狩川沿いの石狩国樺戸郡月形村キウスナイ(黄臼内)(現、浦臼町)に250万1207坪(約803ヘクタール)の土地を貸し下げを受けることに成功した。
 士寿太郎は、急いで徳鳥へ帰り那賀郡北海道殖民同盟会に状況を報告し、那賀郡の人々を中心に町村の役場等をまわって移住者を集めはじめた。また、那賀郡北海道殖民同盟会ば明治24年10月の新聞に数日間にわたって大きな広告を掲載している。その広告には「明治25年から2ケ年で百戸の農民を移住させること」を目標に、「移住者にはニ度に分けて1万坪(約3.3ヘクタール)を配与し、成功した後、所有権を与えること」を約束している。また条件として、「渡航費及ぴ移往後1ケ年の衣食費に耐える資力のある者、目的を変えず当会の規則を厳守する者」としており、渡航費と生活費は自分で用意しなければならなかったことがわかる。この募集により明治25年4月には30戸を集め北海道に旅立った。しかし現地の状況にそのうち16戸が離散してしまうほどであった。
 その後14戸によりて開拓は苦労を伴いながらも進み、明治25年10月には第2回、明治26年12月には第3回の移住者募集のために士寿太郎は徳島に帰っている。26年には41戸、27年には13戸が新しく移住し、明治30年には移住者は171戸に達したとされている。殖民同盟会も活勤は継続しており、26年2月・26年12月にも新聞広告を掲截している。

 

守野 為五郎(1851〜1906)

守野 為五郎
(1851〜1906)

板東 勘五郎(1861〜1918)

板東 勘五郎
(1861〜1918)


 また、有力な会員であった守野為五郎家には、明治28年2月の開墾地に関する報告書が残されており、250万坪の内127万坪を分与し、30万坪は牧場に、20万坪は防風林・薪炭林として残し、残地は73万坪余りになっている開墾地では、大豆・小豆・粟・稲黍・ソバ・タバコ・タマネギ・ジヤガイモ・米などの産物が生産され、土木事業によって堤防や橋などの施設も整備された。
 さらに守野家には、明治28年12月に月形村内に作られた公立徳島尋常小学校に対して建築費を出したときの感謝状が残されている。徳鳥小学校は、明治28年に移住者数名が集まって寄付全を募り、24坪の校舎を建てたものが始まりで、故郷の名を取って徳鳥小学校と名づけられたとされている。守野家の感謝状もこの時のものだろう。
 その後、明治33年に編纂された「北海道殖民状況報文」によれは、28年以降は新しい移住者に対して渡航費と生活費を賃し付ける制度ができ、29年以降には富山・香川・高知県の人々も移住してくることになり、30年には月形村から分村した浦臼村に含まれることになり、水田の作付成功もあって順調に開拓が進んだ。33年の友成農場は200戸耕作面積771町歩(771ヘクタール)からなり、うち470町は109戸の移住者に付与され、移往者の平均耕作面積は4町歩に達する成功を治めた。状況報文でも成績顕著と認めている。
 那賀郡北海道殖民同盟会の板東勘五郎はこのほかに、29年に石狩国空知郡栗沢村(現・粟沢町)、30年十勝国中川郡蝶多村(現・池田町)、同じく30年十勝国中川郡勇足村(現・本別町)、小笠原鶴太郎も組合員で支配人は元那賀郡立江村長東条儀三郎の利別農場(現・本別町)など多くの民間農場を経営している。那賀郡北海道殖民同盟会が掲げた徳鳥県人を安定・安心して北海道ヘ移往させるという目的は達せられたと言えるのではないだろうか。

 

守野為五郎への感謝状と友成士寿太郎の報告書

守野為五郎への感謝状と友成士寿太郎の報告書
 

 

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