文書館の逸品展「江戸時代阿波人の見た世界地図・日本地図」展示資料紹介2
異国船舶来話并図 全1冊 (近世後期)
シノハ00003
徳島藩那賀郡代手代として文政12年(1829)12月の異国船の漂流騒動への対応に直接参加した徳島藩士浜口巻太(御牧)( 〜天保10年(1839))が書いた見聞記。全1冊。
【内容要約】文政12年12月11日高知県野根沖に異国船が漂流しているのを発見するが、15日には足摺岬沖で一旦見失う。
その後異国船は12月20日午前9時頃再び日和佐浦明丸灘の磯辺にあらわれ、午後3時頃牟岐出羽島近くに碇を降ろした。
これに対して、徳島藩側は鉄砲などで威嚇をはじめる。
同日午後7時には徳島に第1報が着き、著者も即時に登城している。その後次々と情報が入り、翌21日朝異国船打払いを命ぜられ、郡代山内忠太夫と共に筆者も同行。
22日未明午前1寺頃牟岐へ到着する。
西牟岐漁口御分一所にて、さっそく現地にあった郡代三間勝蔵より異国船の行動が怪しい旨の報告を聞く。
翌22日朝、著者は異国船内部の様子を探ることを命ぜられ、漁夫になりすまし、船に近づき偵察を行い船内の様子を絵に描く事に成功。昼頃帰り報告をする。
その後、出船を引き替えに薪・水を与えるが船は動かない。
山内らは、描かれた旗を日和佐陣屋備え付けの「蛮国船印図」で調べるとアンゲリア国王旗(イギリス)と判明し、打ち払いの徹底を決める。
徳島藩側は激しく打ち懸かり異国船に被弾すると、異国船から風を待って出船するとの知らせがあり、銃を納めた後異国船は出船した。著者は異国船に哀れみを感じたという。
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『写真1 表紙写真』
『写真2 イギリス船』
『写真3 船員と犬』
『写真4 機関部』
『写真5 異国船対応配置図』