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明治10年代になると麻植郡児島村(現・川島町)出身の仁木竹吉をはじめとして徳島県からの農民移住が相次いで行われるようになった。20年代にはいると、国会議員や町村長などの地域の指導者を中心にした積極的な移住事業が進められ、全道に徳島県人が入植していった。
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開拓小屋写真
(友成静子家蔵)
北海道移住民汽車賃汽船賃割引券
(久米欣之介家蔵)
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浄瑠璃見台と裃
(本別町歴史民俗資料館蔵)
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柱時計
(友成静子家蔵)
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火鉢
(本別町歴史民俗資料館蔵)
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徳島藩主の御典医であった関寛斎は戊辰戦争で活躍した後、徳島の町医者として庶民の治療にあたり尊敬された。明治35年、72歳のとき北海道に渡り、厳寒の斗満の地に開拓の鍬をおろした。理想郷を新天地に求めた壮絶な人生であった。
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奥羽出張病院旗
(徳島城博物館蔵・複製)
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蜂須賀家拝領手あぶり
(東金市吉井直家蔵)
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木製薬研
(東金市立図書館蔵)
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ワッサーバード
寛斎使用医療器具
(陸別町関寛斎資料館蔵)
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