開館10周年記念 特別展
<<前ページ次ページ>>TOP

稲田邦植

稲田九郎兵衛
(邦植、1855〜1931)

 徳島藩の筆頭家老で洲本城代であった稲田家が庚午事変の後、北海道の静内へ家臣団共に移住したことはよく知られている。
 稲田家が北海道に移住することを明治新政府から命じられたのは、明治3年(1870)3月21日岩倉具視によってであった。稲田家の家臣が家老の家臣であるため、討幕運動で抜群の活躍をしたにも関わらず、多くが士族に編入されなかったために不満が募り、それが分藩独立運動にまで発展してしまい、岩倉具視にその嘆願をしていた。そこで岩倉は、士族編入を認めるかわりに稲田主従の北海道移住を命じたのである。
それに対して稲田家臣側は再び嘆願書を出し北海道移住を拒否し、さらに淡路の分藩を願い出るなどしたため、徳島藩兵の強い反発を誘い14日には大坂の稲田屋敷、5月15日には洲本の稲田家来の屋敷町を襲い死者が出るなどの惨事(いわゆる庚午事変)を引き起こした。徳島藩兵隊有志には、8月に太政官から判決が下り、斬罪10名外多くが罪を問われた。また知藩事の蜂須賀茂詔も監督不行届と言うことで謹慎を言い渡された。また稲田家家臣達も、この事件後士族籍を得るものの再び北海道移住が命じられたのである。
 北海道立文書館が所蔵していいる中心的な記録公文書である「開拓使公文録」には稲田主従の関係文書が多く出てくる。その始外は、同年10月「稲田九郎兵衛並同人元家来へ北海道移住等御沙汰之義御達」で、兵庫県眷属稲田九郎兵衛(邦植当時15才)に日高国の静内郡と志古丹島(千島列島の一つ色丹島)の開拓を命じた事を記した文書である。その開拓費用は元の知行高1万4500石の10分の1を与えられ、残りを10年間分の開拓費用に充てることが書かれており、決して悪い条件ではなかった。

開拓使公文録(北海道立文書館蔵)
開拓使公文録
(北海道立文書館蔵)

 静内郡・色丹島の土地は、それまで東京芝の元将軍徳川家の菩提寺であった増上寺が管轄していたが、拓植には見るべき成果を上げることがなかった。そこでそれを引き揚げさせて、実際に移住して開拓にあたることを前提にする稲田家の支配地に変えたのである。
 静内の土地には江戸時代後期に静内場所が置かれ、昆布・鯨・鮭・鱈・鹿皮などの産物が安定して産出されている土地で、特にシブチャリ川(静内川)両岸には平地が広がり、稲田家が調査に送った重臣の内藤弥兵衛・平田友吉の2名も将来極めて有望なる土地であることを認め報告している。
 翌明治4年2月先発隊47人(30人とあるものもある)が一手に分かれて出発し、一方は大阪から越前敦賀に出て日本海の航路を北上して函館に入り陸路静内に入ったといい、もう一方は東海道を経て陸路青森に至り大湊付近から海路静内に直行したという。後続の移住者本隊は、同年4月に3艘の汽船に米・麦・農具・家具などを満載して洲本を発ち品川・金華山を通り太平洋航路を北上し5月2日ついに静内(現在の元静内)に上陸した。この第一陣は137戸546人であった。
 一方同年3月15日太政官は、静内郡のとなり新冠郡の支配をを稲田九郎兵衛の増支配としている。この新冠郡は、明治二年7月から徳島藩が支配していた場所で、徳島藩の役人が詰めていた。それを稲田家に支配を与えたのである。増上寺と同じく一向に成果があがらない徳島藩の支配から、実効のありそうな稲田家に支配替えを行ったのだろう。
 実際に上陸した入植者達は、まったく耕作の手が入っていない静内の原野に驚きを隠していない。元々住んでいたアイヌの人たちはシブチャリ川(現静内川)沿岸に住み鮭や鹿肉などを常食するのみで耕作するものはなく、まず原野に道路を開くところから始めなければならなかった。下々方(しもけぼう)から稲田家の屋敷が作られる目名(めな)に通じる道が開削され開拓の端緒がつけられた。その後侍農業で開拓はなかなか進まず、7月には火事で国元から運んできた家財道具のほとんどを焼いてしまったり、8月には紀州(和歌山県)周参見浦(すさみうら)沖で第二陣の移住者が乗った平運丸が難破し83名が死亡するという大きな悲劇が起こった。
 こうした悲劇や苦労を乗り越えて、静内でも徐々に開拓はすすみ米作に成功し、徳島の産物である藍の生産を行い、静内開拓の礎を築くに至ったのである。また現在の静内・新冠と言えば、競走馬の国内有数の産地として有名になっている。こうした牧場経営者にも移住者達は大きな役割を果たしたという。

 

稲田九郎兵衛(邦植)への北海道移住の達
稲田九郎兵衛(邦植)への北海道移住の達

 

 

開館10周年記念 特別展
<<前ページ次ページ>>TOP

詳しい内容のお問い合わせは下記までお願いします。

〒770-8070
徳島市八万町向寺山 文化の森総合公園内
TEL 088-668-3700
FAX 088-668-7199
Copyright:徳島県立文書館.2000