文書館の逸品

江戸人足と江戸村役(上)

江戸人足・江戸村役とは?
 江戸時代、徳島藩では藩内の村々から百姓が徴発され、江戸の藩邸で雑務にあたる人足がいました。これを江戸人足・江戸村役といいます。これらは百姓の夫役(領主に対する労役奉仕の義務)の一つでした。ここでは那賀郡小仁宇村(現那賀町)で江戸時代に庄屋を勤めていた秋本家に残る史料から、人足を出すことになった村がどのように人を雇い、費用などを負担していたか、その一端を探ってみました。

江戸人足と江戸村役(下)

 仁 宇 谷 騒 動 (一)
「仁宇谷(にうだに)騒動」って何?
「仁宇谷騒動」って聞いたことありますか?
 本館架蔵の「秋本家文書」のなかに、文政2(1819)年に起こった仁宇谷騒動を記録した史料群があります。
 那賀川中流域の仁宇谷筋で、藩主巡見に要した組村入用費の割り付けに不審があるとして百姓たちが立ち上がったのです。

 仁 宇 谷 騒 動 (二)

book日本にあった陪審員制度 
        −昭和2年 陪審員関係書類から見た−(下)
 「昭和2年 陪審員関係書類」の表紙をめくると、まず司法省の刑事局が大正15(1925)年3月に作成した「陪審裁判とはどんなもの?」と「陪審制度の話」というパンフレットがつづり込まれています。「陪審制度はどんなもの?」は活字も大きくルビも振られており、多くの人に読んでもらうものとして作られています。このパンフレットには当時導入しようとしていた陪審員制度の特徴がほぼ盛り込まれていますので、紹介していこうと思います。

book日本にあった陪審員制度 
        −昭和2年 陪審員関係書類から見た−(上)
 現在、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(平成16年5月28日法律第63号)」によって、平成21(2009)年5月までに裁判員制度が導入されることが決まっていいます。この制度は一般国民の中から事件ごとにくじにより無作為に選ばれた裁判員が、地方裁判所での一定の刑事裁判(死刑または無期の懲役・禁錮にあたる罪に関する事件など)において、裁判官とともに有罪・無罪の判断および有罪の際は量刑を決める判断を決める制度です。こうした裁判員制度は、現在国民の間には実施前ということもあり、実施にあたって法的に素人の国民が参加することに対して一部不安視している人もあるようです。

book神山の煙草生産

 徳島の山間部では、江戸時代から煙草づくりが盛んであった。とくに美馬・三好郡では近年まで中心的な産業であり、明治29(1896)年3月「葉煙草専売法」公布後、30年4月に全国61ヶ所の専売所のひとつとして池田に置かれた。その後明治37年に完全専売となるが、池田支局と「阿波刻」の地位が変わることはなかった。