「写真で見る“ちょっと昔”の阿波の名所」展  〜わたしの一枚〜 (6)

                                             徳島県観光課 提供

 小学校4年の昭和31年に国連加盟、 中学2年の昭和35年には「安保」の岸内閣から「所得倍増」の池田内閣に変わった。団塊世代の走りなのである。
 この頃、 小中学校の一学期の終業式は7月25日であった。 この日は、眉山下の天神社夏祭りの本宮でもある。 大正時代はずいぶん盛んであったようだが、戦後は昭和29年に舟渡御と花火が復活したという。
 早めの夕食後、 歩いて20分ほどのかちどき橋へ家族とむかう。 もう、橋の上や新町川の両岸はいっぱいの人出。 やがて、 かがり火を先頭に舟渡御の神輿、 さらに高張り提燈・鳴り物などを乗せた船、 見物の屋形船が華やかに船列を組んでやって来る。神輿船について中洲を移動すると、「三ツ頭」(新町川と福島川の合流点)では西船場へ帰る船団が大きくUターンする。圧巻であった。 このシーンと打上げ花火・仕掛け花火は毎年の楽しみであった。
 戦後に復活した舟渡御・花火も、現在は途絶えて久しい。 しかし、わたしたちの夏休みは、舟渡御と花火を合図に始まったように思う。
(板東 紀彦)