徳島の古文書シリーズ【第4回】

 五年切証文  江戸時代の徳島の土地売買(2)

 江戸時代の阿波で五年切証文は、もっとも使われる証文のひとつでした。五年切証文などは、一般の百姓にとっても少なくとも読めた方がよい文章だったのです。そこでその文面は寺子屋などで使われる手習いの教本として利用されていました。
 今回紹介する古文書は、那賀町(旧鷲敷町)秋本家文書の中にあった寺子屋の教本として利用された五年切証文の文章です。多少落書きがされていますが、本文を読み解説を加えてみます。


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 五年切本米
 返売渡申田
 地書物之事


一上々田壱町弐
 反三畝拾八
 歩成米七石

 五年間で借りたときの米を返済し、田を返してもらうことを定めて売り渡す田地の証文について。(質地についての証文)

 一 上々田1町2反3畝18歩、成米(なりまい:公称の年貢高)7石


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四斗名負寿
左衛門右ハ那賀
郡小仁宇村


山田織部様
御上知地改
御帳面之通

4斗 名負い(検地時の税負担者)寿左衛門
 右の土地は、那賀郡小仁宇村(現那賀町)山田織部(徳島藩家老、蜂須賀重喜の時切腹させられた。)の給知が上知(藩の土地として取り上げられる)改め時の土地帳面のとおり、

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先祖寿左衛門
名負私控田
地ニ紛無之候


然処当秋御
年貢不足ニ付
右田地当亥

 私の先祖寿左衛門の名負地であり、私の控えている田地であることは間違いありません。そうしたところ、今年秋年貢が不足となり、右の田地を当亥年

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十月より来ル辰
十月迄丸年
五年切代米


八拾石本米
返ニ其方売渡
代米請取御

 10月から来たる辰年10月迄丸々5年切り代米80石で、この米を返済する約束で、あなたに田地を売り渡し代米を受け取り、年貢を上納するのは本当です。

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年貢上納仕
処実正ニ候然
上ハ来巳ノ夏より


御年貢地役共
所並ニ可被相
勤候年月明

 そうした上は、来年の巳年夏からは、年貢・地役ともそちらでその近辺どおりに勤め、年月が明けた

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来ル酉ノ十月ニ者
右代米八十
石を以明地より


請返可申候
若代米不足
仕候ハヽ相済候

 来たる酉年10月には右代米80石で、明地として受け返します。もし代米の不足があれば、返済が完全に終わるまで

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迄何ヶ年ニ而茂
其方ニ可有御
控置候右田


地地改御帳
面ニ引合歩数
成米名負字

 何年でも、あなたの方で控えておいて下さい。右の田地地改め帳面に引き合わせて、歩数(面積)、成米(収穫量)、名負(年貢負担者)、字(地名)
 
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相違無之二
重売質物等
も入不申外より


故障無之ニ附
右之趣
御郡代梯

 などは間違いありません。二重に売ったり、質物に入れたりしておらず、外から問題を持ちかけられることもありません。この契約について、御郡代 梯

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弥一右衛門様
楠本官八様
鵜飼達蔵様


奉願御聞届
之上所役人
中加判其上

 弥一右衛門様・楠本官八様・鵜飼達蔵様へお願いし聞き届けられた上、村役人の判、

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御手代御裏
判申請売渡
申上ハ全違

 
乱無之候仍而
五年切売渡
証文如件

 さらに御手代様の裏判をいただいて売り渡したことは全く間違いありません。よって五年切り売り渡し証文はこのとおりです。

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 那賀郡小仁宇村
     売主
      何兵衛
 文政十年


   亥ノ十月日
   小仁宇村肝煎
     秋本多三郎

 文化10年亥の10月日  那賀郡小仁宇村売主何兵衛・小仁宇村肝煎秋本多三郎


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    同村五人組    
     粂右衛門
何村小仁宇村
   何左衛門殿

同村五人組粂右衛門 → 何村・小仁宇村何左衛門殿 

 このように子供達は実務的な文章をお手本に文字を覚えていき、実際に生きて行く力を得ていたのです。

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