平成18年度 歴史講座 【第4回】

外国人と四国遍路−過去から現在まで−
講師 徳島文理大学 デイビット・モートン 氏

はじめに
 今回は大正時代から現在までの外国人遍路についてお話ししたいと思います。
 今日、多くの外国人遍路が四国を廻っています。87番札所長尾寺と88番札所大窪寺の間にある「おへんろ交流サロン」によると、ここ数年毎年約50人の外国人遍路がこのサロンを訪れていて、その国籍は世界中から17カ国に及んでいます。私は25人くらいの外国人遍路と会っていますが、その動機はまちまちです。また、四国遍路ほど安全な巡礼は無いと彼らはいっています。
講演中


外国に紹介された遍路 明治時代のお遍路さん
 現在はインターネットが普及していますが、昔の外国人遍路はどうやって情報を入手したのでしょうか。
東京帝国大学の教官を務めた英国の日本研究者チェンバレンが1893年に書いた書物の中には四国88カ所についての記述があり、白装束姿の遍路の写真も載せられています。
 また現在のJTBが戦前に外国人向けに発行したガイドブックにも四国遍路は紹介されています。戦後も多くの出版物で四国遍路が取り上げられ、1983年には決定版とも言えるスタトラーの「Japanese Pilgrimage(日本巡礼)」が書かれます。

外国人の遍路お先達 お札博士スタール
 次に三人の代表的な外国人遍路について見てみましょう。
 初期の外国人遍路として有名なのが、米国人のフレデリック・スタールです。1854年に生まれた彼は長年シカゴ大学などで教鞭を執っていました。日本文化をこよなく愛した彼は1904年以来15回も来日し、1933年に東京で没しています。お札博士とも呼ばれています。1917年に初めて四国を訪れ、1921年には30日かけて四国を回ります。1924年に53番円明寺で最古のお札を発見したことで有名ですが、私の調査ではこれは1921年の間違いで、発見というのも言い過ぎのようです。彼は当時のマスコミから注目され、各地で大変な歓迎を受けています。
アルフレッド・ボーナー 次に昭和初期のアルフレッド・ボーナーですが、彼はドイツ人で松山の高校でドイツ語を教えていました。彼の著作の中に四国遍路を行ったことが書かれています。この著作とそこに載せられている写真は貴重な史料となっています。
 戦後の四国遍路の紹介者として有名なのが、オリバー・スタトラーです。彼は戦後軍人として来日し、退役後も研究のために日本に滞在し、ハワイ大学や神戸女学院大学で教鞭を執りました。松山に住んでいた1968〜71年に2度四国遍路を行いました。その後、四国遍路についての映画を制作・上映し、1983年には先ほど説明した「Japanese Pilgrimage」を出版。1983〜85年には大学生の四国遍路体験ツアーの引率なども行っています。

おわりに
 平成になってからも、英国人のイアン・リーダーが四国遍路に関する多くの著作をしており、オランダ人のヘニ・バン・ダ・ビルのように12回も遍路を行った人もいます。
また、私を含めて四国遍路を研究している外国人が増えています。

------------------------------------------------------------------------------©2007.01  記録 徳野隆