徳島藩の伝馬制度シリーズ【第2回】

伝馬(てんま)てんま(てんま)ではどんなものが運ばれていた?

 伝馬制度は藩の公用の荷物や書状を送るために整備されたものですが、実際にはどのように機能していたのでしょう。その一例を紹介します。


〈キノウ00808001〉



   申上覚
諸出入取扱被仰付候内南北懸組之出入も段々御座候所
先月廿六日名東郡南斉田浦へ出入人呼懸状相仕出
村継ニ相送リ居申所、同郡蔵本村伝馬才判人より添書を以
他郡之与頭庄屋役人之書状ハ持来不申趣ニ而送リ戻
来申候、右ニ付最寄与頭庄屋承リ合候所、先年より
南之方へも出入人呼懸状等多ク指出申候ヘとも村
継ヲ以無指支相届候趣ニ御座候、然所右伝馬
才判人義如何相心得候義哉、右様送リ戻来御用支ニ
相成申候間、此後右御用状配リ出次第無指支相送リ
候様右伝馬才判人へ被仰付可被下候、右之段
横切ヲ以て各様迄申上候、可然様被仰上可被下候、以上
 とら九月廿四日
              木内兵右衛門
    黒田安左衛門様
    野口是兵衛様
    笹倉真佐助様


 この史料は、板野郡竹瀬村(現・板野郡藍住町)の庄屋木内兵右衛門から、板野・勝浦郡代の手代3名に宛てて出された願い出の控です。書かれたのは近世後期と思われます。

 冒頭の「諸出入」というのは現代でいう訴訟のことです。木内兵右衛門は様々な訴訟の処理を命じられることがあり、そうした中には「南北懸組之出入」、つまり阿波国内の南と北というように離れた村同士の間で起こった訴訟を取り扱うこともだんだんと出てきたようです。

 そんなある日、兵右衛門が名東郡南斉田浦(現・徳島市)へ、自分が処理にあたっていた訴訟に関する書状を送ろうとしました。そのとき「村継」(※1)で送ろうとしたところ、途中の名東郡蔵本村(現・徳島市)の伝馬才判人(※2)から書状が送り返されてきました。それには添え書きが添えられており、「名東郡以外の郡の組頭庄屋役人の書状は運ばない」と書かれていました。

 兵右衛門は驚いて、板野郡内の他の組頭庄屋へ問い合わせてみると、最近南の方へも訴訟関係の書状を多く出しているが、村継で差し支えなく届けられているということでした。そこで、蔵本村の伝馬才判人がこれ以後はきちんと書状を送るように、郡代手代へ願い出をしたのでした。
           ※1 村ごとにリレー方式で書状を送って行く方法=伝馬
          ※2 伝馬の仕事を現場で実際に差配する人


☆この文書からわかること☆
 (1)庄屋が命じられて訴訟の処理にあたった場合、その時庄屋から出される書状は公用の
    文書と認められ、藩の公的制度である伝馬制度を使って運ばれる。
 (2)蔵本村の伝馬才判人の添え書きからは、名東郡内では郡内の組頭庄屋の書状を伝馬を
    使って運んでいたのではないかと推測できる。




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